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イチから作るカレーライスの記録⑬あーちゃんの育てたスパイス収穫!!そこで私が感じたこと

更新日:2023年9月1日



ちょっと日にちが空いて、令和3年11月28日


Tちゃん(あーちゃんママ)から連絡があった。


「スパイスが収穫できそう!みんな来れる?」


6月にこの企画があがったときに、「もう遅いかなぁ。でも植えてみるね!」と植えたウコンとショウガとコリアンダーがついに収穫の時を迎えた。


さぁ、みんなであーちゃん宅へ!


スパイスの収穫

Tちゃんから声がかかったんだけど、我が家は、かなちゃんは最近楽しく取り組んでいるクリケットの大会だったから行けなかった。そしてとー君はサッカーの練習があったので、その後に遅れての参加となった。



あちゃんん宅に着くと、わーっとせい君よう君と遊びだすとー君。



きーちゃん、でーちゃん、あーちゃんはウコンを切っていた。



参考にしているイチからのカレー作りの本では、ウコンはすりおろして入れていたから、すりおろして入れるんだと思っていた私。


私:「なんで切ってるの?」


Tちゃん:「干して、粉にするよね?」


私:「そっかぁ。でも、この陽気で乾くのかな‥?」


Tちゃん:「そっかぁ。このまま保存するにはどうするの?」


・・・


わいわい楽しそうに遊んでいる子どもたちの声


・・・


なんか違和感。。

私が抱いた違和感は何なんだろう?

一番、あれ?と感じたのは、砂まみれのまま切って並べられているウコンの姿。


砂まみれのまま乾かしたら、砂ごと食べることになっちゃうよ。。


そして、「あれ?すりおろすんだと思ってた。」と私が言った時のTちゃんの「そうかぁ。じゃあ、どうしようか。」という反応。


収穫の後どうやって保存していくかの部分も何となくで決めていたんだなぁ。。


そんなこんなで違和感を抱いていったのかもしれない‥



私は、野菜も魚も肉も、全部が同じ命だと思っている。


だからかなぁ。


例えば、とりを絞めてお肉にした時に、そのお肉を血まみれのまま調理はしないよね?そのお肉をどう調理するかをきちんと考えずにただ絞めないよね?


そんな感覚だったのかもしれないな。


私は野菜を切るときも命と思って切っている。命と思って切っていたら砂まみれのまま干したりしない。


でもそれは、私の感覚なだけだから、誰かに押し付けたりするものではない。



だけど、だけど、


食べ物が食べられる状態になるまでの過程を実感したくて、伝えたくて、この企画をやっているんじゃなかったのかな。。


ずっと遊んでスパイスに興味を示してこないとー君に感じないスパイス収穫の喜び。ウコンを切っている女の子チームにも、ただ単に切っている感じを受けるこの瞬間。


我が家が遅れて来たせいかもしれないけど、


何かが違うんだよなぁ。。


スパイスをお家で育てていたあーちゃんには感じる部分があるけど、それがみんなに共有されきれていない状態なのかな、なんだか行動がそれぞれな感じなんだよな。


そして、せい君よう君と遊ぶのが楽しくて、全然スパイスに目もくれないとー君に、「もー、何しに来たの!?」と言っちゃった私。


するととー君、「スパイスやる」っていくらかはやるんだけど、なんか、やっぱり、スパイスに対する気持ちが薄いなぁ。なんて感じていく。


たぶんね、それはスパイスの栽培&収穫が「自分事」になってないからなんじゃないかな。


とー君にとっては「自分たちで育てている感覚がない」ってこと。


結局それは、誰かが育てているものになってしまっているということなんじゃないかな。


そんなふうにも感じたんだ。

自分で育てているじゃがいもは「自分事」になっているとー君


その後、家に帰ったとー君。自分の育てているじゃがいも


「霜が降りる前に収穫しなきゃいけないからって、今日スパイス収穫したんだって。」という話になると、


「明日の朝-1℃なんだって!」

「霜が降りるのは3℃くらいからなんだって!」

「じゃがいも掘らなきゃダメになっちゃう!」


そう気づく。


今度はほら、「自分事」なんだよ。


「今、掘る!」と1本だけ掘り、次の日の下校後に全部掘るから来れるお友達を呼ぶことにしたんだ。




どうしたら、みんなで作るカレーライスの一つ一つをそれぞれが「自分事」にしていけるのかな?


そんなことを感じた今日のスパイス収穫。



そして、少しずつ生じてくるみんなとの気持ちのすれ違い・・




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